3/13 おとなとこども

 今日は短歌会の方の用事ででかけた。引継ぎがうまいこといっておらず、伝統もネームバリューもある会だと思うのに存続の危機に陥っていたらしい。ここ五年ほどそのボロボロだった会を支えていた先輩が今年度で卒業ということで、いままで積極的に活動していたわけでもないし帰属意識もそれほどないのだけど、短歌会がつぶれてしまうのは嫌なのでお手伝いさせてもらうことにした。

 最近分かってきたことだけど、大学のサークルではたくさんのお金が動く。もちろん自分たちで多少の手出しは必要だけど、やりたいことがあれば正当な手続きを踏んでそれなりの金額を補助してもらえる。

 いつの間にこんなに力が手に入っていたんだろう、と思う。高校生まではやりたいことがあっても全部先生や親に相談してからじゃないと話が進められなかったのに、今や強い気持ち(と場合によっては仲間)がいれば思っているよりなんだってできてしまう。まだ学生なのに。嬉しいことだけど、その分責任はぐんと重くなって、自分がやらなければ本当に何かが立ち行かなくなって潰えてしまう、ということがあり得てくる。二年前まで本当にそんなことはなくて、大学生になってから急に手に入った力なので、扱いに戸惑うことが本当に多い。自分はちゃんとその力を使えるだろうか。

 

 ちょっと前まで早く大人になりたい、と思っていた。金銭的な面で自立して、自分のことを本当に自分で決められるようになれればなんて素敵なんだろうと考えていたので。

 でも実際は大人になったって自分だけのことを考えていられるわけではないし、なんだか、障害はむしろ増えていくのではないかということにやっと気が付いてきた。主に、仕事と血のことなんだけど。

 仕事は企業に勤める以上何かしらの制限がある。例えば勤務内容と恋愛とか、キャリアアップと子育てとか。男女平等が叫ばれているけど、実際一般的な方法で子供を産むことができるのは女性に限られているのだし、出産育児をしたいんだとしたら仕事を一時離れるのは避けられないと私は思っている。幸い仕事への期待というか、譲れないところみたいなものは少なくて(?)、一人でも安定して生活を営めて、たまに季節の果物をためらいなく買うことのできる収入を得られたらなんでもいいなあ、という感じ。これは贅沢なのかなあ。まだ何も分からないのに来年就活だなんて。怖いこと言わないでほしい。情けないことにずっと就活におびえながら過ごしているなあ。

 血のことは思うだけでげんなりするのでもういい。どうしても好きになれなくても、あるいは好きでいられなくなっても、一緒にいた時間だけは変わらないので嫌。

 あとは仕事と血の両方。祖母と一緒に暮らしながら仕事ができたらどんなにいいだろう、と思うのだけど、住み慣れた土地を私の都合で引っ越しさせるのは酷だ。そうなると故郷で仕事を探すか完全テレワークの職にありつくかしかない。それは厳しい。でもいつか軽い気持ちで口にしたそれに、たいそう祖母は喜んで、家の改修をしたいだとか、古すぎる家は嫌かもしれないから売ってマンションを買った方がいいだろうかなどと言っていたと父から聞いて思い出すたびにもう悲しくてたまらない。ずっと元気でいてほしいとしか確実に言葉にできることがない。ずっと元気でいてほしい。

 

 なんだか暗くなってしまったけど、今日はcafeGOTOのウインナーコーヒーとチーズケーキを得たので元気だ。だからこんなことを書けたのかな。読んでくれた人の気持ちを暗くしてしまっていたら申し訳ない。ごめんなさい。

 cafeGOTOにはまた数日後に行くことになっている。とっても楽しみだな。

 行ったことがない人や行きたいなという人は、私とでよかったらぜひ一緒に行きましょう。お誘いお待ちしています。