2/15 鍼の話・バレンタインの思い出

 ずっと文章を書きたい書きたいと思っていて、書きたいこともいくつかあったのだけれど、しばらくの間まとまった時間パソコンに向き合うことができずにいるうちにそれらを忘れてしまった。もったいないことだ。

 

 昨日はバレンタインデーだった。が、やったことと言えば泊まっていた友達を朝寝ぼけながら見送り、二度寝をして、バイトをしてから整体に行っただけだ。バレンタインデーだということを差し置いて、もし普通の日だったとしてもぼやけた一日だった。

 ところで整体は非常によかった。少し前から鍼に興味があったが何となく踏み切れないでいたところ、先日小樽の凍結した道を歩いているときにすっころんで腰が何となく痛くなってしまったことをきっかけに受診してみることにした。

 しばらく手で整体?というか骨を整えるようなことをされてから、十か所くらいに鍼を打ってもらった。鍼は打たれるときは無痛で、なんかあたったか?という程度の刺激を感じるだけなのだが、奥の筋肉らしきところに当たったときだけびんとした響きがある。

 当然のことながら腰付近は衣服をずらされて素肌をさらしているのだが、鍼を打たれて抜かれるまでの間中暖かい部分温熱機のようなものが設置されていたので全く寒くはなく、むしろじんわり暖かくて心地よかった。抜かれるときもまったくの無刺激で、抜くために動く整体師さんの手が肌に触れて少しくすぐったい程度。

 整体は気持ちがよかったし、保険が使えて安くなるということなので次回の予約もする。首も痛く、調子が悪い時は歩くと響くような頭痛がすることがあると言ったらそっちを先にした方がいいと言われた。どうなることか分からないが、病院のある幡ヶ谷という町がなんだか気になるし、帰り道に新宿に寄れて楽しいのでしばらく通ってみて判断しようと思う。中学生くらいから頻繁に腰が痛くなっていたのや、頭が痛くて眠れず首や側頭部をもみながら耐えしのぐ夜が少しでも減ればいい。

 

 話を元に戻す。今年のバレンタインデーが色気のあるものでなかったのは先ほど述べたとおりであるが、今までの私のバレンタイン、とりわけ小学生の頃から高校生の頃までのそれは一年のなかでもぐんと力を持ったイベントだった。

 初めてチョコを誰かにあげた記憶があるのは小学2年生の時だ。アルミカップに溶かしたチョコを注ぐだけの簡素なチョコに、カラフルなチョコペンでへたくそなデコレーションをした。いろいろ作るなかでハートを書いたり星を書いたりしたわけだが、親の目を盗み、ひとつだけにピンク色のチョコペンで「すき」とひらがなで文字を書いた。

 本当に親の目を盗めていたのかどうかは定かではないが、無事に固めてラッピングするところまでできた所謂「本命」を自転車に載せ、近所の好きな子の家までいった。学校にお菓子を持ち込むのはいけないと言われており、当時から(?)真面目だった私は放課後家に遊びに行く体で渡そうとしたのだと思う。

 でも結局その子は留守で、直接渡すことはできなかった。それで外は寒いのだし、まあしばらく置いておいてもいいだろうとポストに入れようとしたのだけれど、入れる直前でそのチョコを渡す勇気がなくなってしまったのだった。「すき」と書いてあるチョコを渡すなんてのは当時としては言い逃れのできない告白のようなものであり、今仲良くできてるのにそうじゃなくなるかも、、、とかいうありふれた、それでも切実な不安が、チョコを載せた自転車をぐいぐい漕いでいたときの高揚感が消え去った後どんどん大きくなってきてしまったのである。

 そこで私はチョコを諦めて持ち帰ることに……はならず、もうこれが思い出しただけで恥ずかしいのだけれど、なんと私はその場で例の「すき」チョコをラッピングから取り出して、そのピンクの文字だけを削り取り、そして何事もなかったかのように包みなおしてポストに投げ込んだのだった。とんだ衛生観念ぶっこわれチョコだと言われても何も言えない。のだが、当時の私がどきどきと耳の奥で響く心臓の音を聞きながら、「これを消せばただの友チョコ、これを消せば、これを消せば」と必死に考えていたのを驚くほどはっきり覚えているので、私の中では小さいころの鮮やかエピソードの一つとなっている。

 勉強ができて、二人でよく算数ドリルを競って解いていた。家に遊びに行きすぎてその子の妹にべったりと懐かれ、六時になって帰ろうとしたときに大泣きされて困った。その子に喜んでほしくてポケウォーカー(ポケモンHGSSに連携している万歩計で、歩くとポケモンがアイテムを拾ってくれてそれをソフトの方に移せたり、限定のポケモンが捕まえられたりする)を代わりに振った。私のおばあちゃんちに遊びに来るとき、コロコロコミックが手元にあるとそればかり読んで構ってくれなくなるので、遊びに来る予定の時はどこかへ隠した。

 それでまあ、チョコはというと、翌日遊んだ時、その子のお母さんからお礼を言われた。その子からは何も言われなかったと思う。恥ずかしかったのか、嫌だったのか。ホワイトデーに何かをもらったのかどうかは覚えていないが、翌年も私はその子のことが好きで、たしかまたチョコを渡した。告白はできなかった。

 結局その年の春に、親の転勤でその子は転校してしまった。最後の日にお別れ会のようなものがあり、クラスメイト全員と順番にハイタッチをしたのだが、そこで私の順番がきたときにラブレターを渡した。今考えると言い逃げというやつだ。手紙を渡したせいで私はハイタッチをすることができなくて少し残念だった。昔、私が告白するといえば手紙で、という感じだったんだけどあれは何だったんだろう。まあ告白以前に、私が好きなひととしゃべるときににこにこしすぎているせいですぐ周りにはバレていたので、私の好きなひとたちはうわさを聞いたことがあったりしたかもしれないけれど。

 

 私の一番古いバレンタインの記憶はこんな感じで、それ以降も「好きで告白したい人」に好意を示す機会としてずっと活用していた。たまに「好きだけど告白できない人」に渡すこともあった。

 いつからか分からないが美しいレシピ本を眺めたり、お菓子作りや料理の動画を見たりしているうちにお菓子作りが好きになり、よく家の台所を占拠してお菓子を作った。日ごろから写真を載せたり周りにあげたりしているうちにお菓子作りが得意な人として認識されるようになったので、どさくさに紛れて手の凝ったチョコレート菓子を好きなひと(たち)に渡すことができていた。好きなひとたちはみんな甘いものが好きだったので非常に作り甲斐があった。

 高校までのバレンタインで私がガチのガチで取り組んだ本命チョコを渡したのは一度きりで、張り切りすぎてかわいらしいサイズとは言えない紙袋に持ち重りがするほどお菓子を作った。直前にそのあたりにいた男子を捕まえて余りをあげ、味見をさせた。おいしいと言われて安心し、紙袋を構えると「毒見かよ!」と騒がれた。ごめん。

 確か放課後の教室で渡したと思うけど、受け取ったその人は「え、これ全部?」のようなことを言って驚き、お礼を言って受け取って、足早に教室を出ていこうとして机にガンと一回ぶつかった。無事渡せたことに歓喜していると、様子を見ていた友人たちが駆け寄ってきて「真っ赤だったね」と言って笑った。なんだかすごく若い思い出だ。

 

 今の高校生たちのバレンタイン事情はどうなっているんだろう。昨今のコロナ事情で手作りのお菓子なんてとんでもない、という感じだろうか。私としては残念で気の毒だ。楽になったと思っている人もいるだろうが。

 かく言う私も近年は周りにお菓子をばらまくようなことはできておらず、そもそも少しずつ(親にねだって親のお金で)買いそろえた道具たちも実家において来たので、凝ったものを作ることもめっきりなくなってしまった。でも今からもう一度やれば、それなりの軍資金をもって若き日のあこがれ・河童橋の馬嶋屋菓子道具店に繰り出すこともできるだろうし、案外楽しめるかもしれないので、またやろうかな。

 またやろうと思えるほど、お菓子を渡して喜んでほしいと思えるような人たちに大学に入っても出会えているのは幸運なことだ。これを読んでいるあなたとか。作ったお菓子を渡したときは、よかったらぜひ食べて、できれば喜んで、そして感想をくださいね。私が嬉しくなるので。